死んだ目でダブルピース 2nd

引っ越してきました。

美意識の人。~燃え殻「ボクたちはみんな大人になれなかった」感想

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 燃え殻さんの小説「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んだ。2017年6月30日、新潮社刊。*1
 1990年代の東京が舞台の恋愛小説であり、青春小説でもある。エクレア工場からテレビ業界の裏方へと転身した主人公の人生は、どこを切り取っても異世界的だけれど、作者が描き出す人々の生きようは常に普遍的で、誰の心にも内容がすとんと落ちてくると思う。読みながら当時を思い出してヒリッとすると同時に救われた気持ちにもなる。そんな素敵な小説だった。
 cakesというサイトで連載していた時はちょっと感傷的で自己肯定的すぎるように感じた部分が、書籍化に際して絶妙に抑制され、エッセイでも回想録でもない「小説」として完成したように思う。また構成が大幅に変更され、回想シーンが重層的になったことで、深みが増したようにも感じる(……などと書くと偉そうだけど)。
 世の中にはあらゆる手練手管を使って精緻な描写で読者を作品世界に没入させるタイプの小説家がいて、本来小説家というのはそういうものであるべきかもしれないけれど、燃え殻さんは、そういうタイプではない。文章は饒舌すぎず、適度に想像の余地があって、「いついつこんなことがあってこんな風に感じたんだけど、誰か僕と同じように感じてくれる人がどこかにいてくれたら嬉しいです」くらいの謙虚さで、メロウに進んでゆく。本人いわく、もともと小説家を目指していたわけではないし、小説が好きで読んできたタイプでもない。けれどふだんのツイートでもわかるように、文章のひとつひとつがきれいなので、作品の中に自然に引き込まれてゆく。
 燃え殻さんは主観の人だ。ものすごく記憶力がいい人だけど、その記憶は主観によって現実そのものから離れ、印象派の絵のようにボンヤリしている。そのわりにディテールはやけに描き込んであったりもするから、その絵はひどくいびつで、だけど唯一無二のものになっている。……まぁ、これは燃え殻さんだけじゃなく、記憶というものはそういうものかもしれない。
 燃え殻さんの素晴らしいところは、その取捨選択能力だ。脳内にストックされた無数の絵の中から、燃え殻さんはとびきり美しいものを選び取る。その中には、文字通り誰が見ても「美しい」と言える絵もあれば、今までどんな芸術家も取りこぼしてきたたぐいの美しさもある。無意識で選び取っている絵も多そうだけど、けっこう意識的に、野心的に選び取っているのではないかと思う。
 謙虚な語り口の裏側には、これまで踏みつけられてきた燃え殻さんの自意識が横たわっているように感じる。明確なルサンチマンの形にすらならず、日々の暮らしの中で心の奥底に貯まっていった感情が。それを押さえ込んできたのは、バブル崩壊後、あからさまに弱肉強食になっていった世間の風潮でもあるだろうし、そんな中で必死に生き抜いてきた燃え殻さん自身でもあるのだろう。
 燃え殻さんは美意識の人でもある。あれほどツイッターのフォロワーがたくさんいて、多くの共感(=リツイート)を得ていながら、断固としてツイートを集めた本を出さないのも、その美意識のあらわれだ。
 ダサいと思われたら終わり。90年代はそういう時代でもあった。同時に「カッコつけることこそダサい」「ダサいことこそカッコいい」という感覚も当然のように存在していた。さらにその価値観が先鋭化して「カッコつけてると思われたら終わり」へと転じたりもした。フリッパーズ・ギターコーネリアス小沢健二に分かれ、ダウンタウンが天下を獲った頃から、その価値観は何周も回ってわけがわからなくなった。この小説の中にもそういう緊張感が随所に感じられる。
 あれから20年。みんなヘトヘトに疲れ切った中で、燃え殻さんは「みんな無理してなかった? 俺はメチャメチャ無理してたんだよね」と、作り笑顔で読者に近づいてきた。……でもそうやって人畜無害なふうを装っているけれど、燃え殻さんはかなり意識的に「これどうよ」「これもありでしょ」などと、自分の中で「ダサくないと感じるもの」を次々に提示しているように見える。――世間的にはダサいとされているものだけど俺はダサいと思わないんだよね、いや確かにダサいんだけど好きなんだからしょうがないじゃん、いやほんとは好きでも何でもなくてなりゆきでそうなっちゃったんだけどさ、などと、あらゆる角度から、けっこうな手数で攻撃してくる。そして狙いすましたように、本当に美しい出来事やまっすぐな感情を、抜群な舞台設定とセリフ回しに乗せて、きわめて印象的に提示してくる。
 ……冷静に考えてみると「カッコつけてないよ」って顔しつつ実は全力でカッコつけてる姿って、ものすごくダセえんじゃないか、という気もする。でもたぶん、そのダサいところが、トータルでものすごくカッコよく思えてくる。
「取捨選択」の結果、燃え殻さんが小説に反映させていない要素がある。たとえば、これまで堅実に社会人として働いてきた自分自身の姿だ。浮き沈みの激しいテレビ業界の片隅の出来事が自虐的・露悪的に描かれているけれど、真面目に生活している姿は公私含めて描かれない。それはたぶん書いても面白くないし、テーマにそぐわないという冷徹な判断からだろう。ほかにも、舞台はラブホテルだったり怪しげなパーティーだったりするけれど、セックスそのものはたくみに隠されているし、さらに言えば、読者が全員引いてしまうような本当にゲスな行動は描かれない。個人的な感覚だと、90年代に生きていた若者は、もっとがっついていて醜かったと思うけれど。……こんな風に、燃え殻さんが書かなかったものを分析していけば、彼の美意識の根底にある優しさやサービス精神が透けて見えてくるように思う。たぶん燃え殻さんは、主に自分のためではなく、読者を楽しませるためにこの作品を書いたのだろう。その姿勢は読者にとっては当然かもしれないけれど、初めて書く小説でそれができる人はごく稀だ。
 一冊で店じまいするのではなく、今後もぜひ小説を書き続けてほしい。燃え殻さんの小説によって救済されるであろう人は、(僕も含めて)たくさんいるだろうから。


追記
 2017年7月4日現在、Amazonでも紀伊國屋書店新宿店でも売り切れている凄い状況のようだ。すぐにでも読みたいという方は電子書籍もおすすめ。読み終わったあともスマートフォンの中にいつでもこの作品が存在している状況は、たぶんとても幸せなことだと思う。
ボクたちはみんな大人になれなかった | 燃え殻 | ノンフィクション | Kindleストア | Amazon


 なお、今回この文章を書くためにこのブログを立ち上げました。今後はこちらに書くつもりです。よろしくお願いします。

*1:なぜ「さん」付けかというと、知り合い、というか友達だからだ。